INTERVIEW

中学生でRPGのゲームに目覚め、CGや開発の世界へ。
時代の先駆者が語る「ないものは、作りたい」。
紐解かれる、シンプルで挑戦的な思考。

榊征倫さん榊征倫さん:1971年12月27日生まれ。
中学時代でロール・プレイング・ゲームに目覚め、
早くからPCやCGの世界に興味を抱く。
工業高校の電気科へ進学し、電気工技師の資格を取得。
15年程前から3DCGの制作を始め、
OA機器のメーカー・資格教材の通信販売会社・
プラント設計の会社等を経て、
2014年4月より個人事業主として独立。
発電所の電力プラント内の電気計装設計等を中心に、
システム開発、物づくりの分野で幅広く活躍中。

使用CAD:Antodesk AutoCAD2013,Autodesk Inventor,
JWCAD(2D),EAGLE(基板設計CAD)
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自分でゲームを作りたくなった。それが全ての原動力でしたね。

Q.いつ頃からCGや開発の世界にご興味が?

高校時代は工業高校の電気科だったんですが、父親がもともと電気工技師で、資格を取ろうかと入学して、それと同時にパソコンを1台購入して・・・そこからパソコンに没頭してしまったんですよね。ロール・プレイング・ゲームなんかが非常に好きで、色々なものをやりました。海外のものを取り寄せたりもしていましたね。そうこうしているうちに、自分でゲームを作りたくなった。それが全ての原動力でしたね。それで、絵をトレースしてみたり、プログラミングを学んだりしましたね。学んだとは言っても独学で・・・当時は今のように便利なソフトなどは全然なく、パーツを組み合わせたら出来上がり、というのはまずなかったので、メモ帳にプログラムを書いたりして、専用のコンパイラーというものを通すと動くような仕組みだったんですが、そんな感じでのめりこんでいきましたね。CGには、18年前位前かと思いますが、これからはCGの時代が来る!と思って、興味を持ち始めていましたね。

Q.90年代後半は「トイ・ストーリー」や「FFVII」等、CGの草分け的なアニメやゲーム作品も誕生しましたね。

そうなんですよね。ちょうど有名なゲームが映画化される際、CGチームとしてやらないかと声を掛けられたりしていました。ゲーム開発に興味を持ったきっかけは、作品で言うと2つあるんですが、1つは中学生の頃の「ドラゴンクエストI 」。ロール・プレイング・ゲームというジャンルを知ることになったきっかけです。それまでのゲームは、テニスだったり野球だったり、そういう分野があるだけで、「キャラクターが成長する」という概念がなかった。自分の努力次第でキャラクターが育っていくというのが、面白いと思いましたね。
もう1つは、パソコンを買った後なんですが、海外の「Wizardry」というゲームです。それもロール・プレイングなんですが、すごくリアル感があったんですね。例えばドラクエは、上から見てキャラクターが横方向に動きますが、そういったものではなく、実際の空間が3D状態で描かれていたんです。通路、ドア、落とし穴・・・それが、初めて3Dでゲーム空間を見た経験かと思います。それまでは、壁なども線で描かれているだけ。内容としても現実的で、シビアなリアル感がありました。3Dという言葉自体に初めて触れた経験でしたね。

Q.ご自身で作りたいゲームとは?

やはり「Wizardry」のように、何かをリアルに作るもの・・・今で言うヴァーチャル・リアルティ、仮想現実の中でのリアルさのあるものですね。例えば今、日本ではないんですが、「Google Glass」というものがありますよね。同じようなものをbrotherも開発していて、「網膜ディスプレイ」というんですが、メガネを乗せると、網膜に直接画像が出るんですね。そういった、拡張現実のようなものに興味があります。自然に生きていく中でのプラスアルファの情報がよりリアルに見える、というもの。そういったものを出来れば作れたらというのはあるんですね。

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OA機器のメーカーからプロレーサーを経て、開発の世界へ。

Q.最初に勤められた会社は?

ゲームとは全然関係がなかったのですが、OA機器のメーカーですね。高校を卒業して、稼ぎたいという気持ちもあったので、営業をやろうと思ったんですね。営業希望で入ってすぐに営業の研修もみっちり1ヶ月受けて・・・配属が決まったら、営業とは違う、販売管理室という部署でした。パソコンが使えるなら数字の管理をやってください、ということで。営業がやりたいのに、システム一式を担当しながら、営業の報奨金の管理なんかをするのが仕事で(笑)。実は、開発を担当したシステムが会社の業績に大きく貢献して、営業には莫大な報奨が出たりしたこともあって、正直なところ悔しい思いも沢山しましたね(笑)。それまでは高校も電気科で、内向的だったんですが、営業の研修を受け、人と話すことが好きだと変わったところでした。そこに2年ちょっといました。その後、営業の仕事が叶わないならと、静岡から家出同然で東京に出てきたんですよね。何も考えずに出てきました。若干バブルも残っていて、景気も悪くなかったですし、「なんとかなる!」という気持ちでした。

Q.人生の転機はありましたか?

上京してからは昼も夜も働いていましたが、色々な場面で、こういうことがやりたい!と語っていました。そういうしているうちに人脈が広がり、スポンサーになってくれる経営者と知り合ったりもしたんです。もともと車が好きだったこともあり、とある方から「君、レースやってみないか?」という話を持ちかけられて、ホンダエンジンでレーサーをやっていましたね。フォーミュラ・ジュニアというクラスで、専属デビューで、プロレーサーをしていた時代がありました。21歳から1年半くらいの期間だったのですが、「自分の前を走っているのは許せない」と思っていましたね(笑)。それで、のめり込んでいました。レース自体は結局事故で引退することになりました。

Q.開発の世界へどう繋がっていきましたか?

事故で7ヶ月くらい入院し、その後どうしようかと考えて・・・電気工技師の資格を持っているからそれを活かそうかなと思ったんです。それで、電気工技師をやり始めました。電柱を登って、電線を引いていましたよ。
プライベートでは、相変わらずパソコンもいじっていましたね。それもあって、Windows95が出た頃ですが、資格教材の通信販売の会社へ入社をしました。CGやPCに興味を持ち始めた頃ですね。「これからはパソコンの時代です!」なんて言っていたものですから、システム開発課というのが設置されて、いきなり課長を任されてしまいました。とは言っても、僕一人だけの課なんですけどね(笑)。そこから、自社のビデオ教材の開発などの仕事をしていきましたね。
基本的に今でもそうなんですけど、知らないことがあるのが許せない、気が済まない、という凝り性なんですよね。なんでも突き詰めたがる性格なんです。すごく矛盾してるんですけど、理想家であり、現実主義というか・・・なんでもやってみないと気が済まない、やり始めるとハマってしまう、という性格のようで、今度はその開発へと没頭していきました。

Q.CADはいつ出会いましたか?

昔から触ってはいたんですが、業務として関わり始めたのは、フリーランスを経た後ですね。発電所のプラント関連のシステム開発の部署で、AutoCADに業務として関わるようになりました。実際の業務としては、工事現場の進捗管理をするシステムなんかを作っていたんですが、図面のことを知らないとできないと思いましたし、データの管理をしていたので、CADに積極的に触れていきました。一般的なAutoCADだけではなく、自分でハードウェアを設計して、自社のものを開発していました。組み込み機器の開発に、ドイツのEAGLEという基板設計CADを使ったりもしています。今一番使っていますね。
現在はシステム開発を中心にしていますが、多いものとしては、神奈川県関連ですね。ものづくりとしては、ハンダ付けからCADからシステム開発・・・なんでも屋さんという感じかもしれません(笑)。

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1番大切なのは、使う人のことを考えること。

Q.印象的だった仕事は何ですか?

28歳くらいの時に一度フリーランスになったんですが、それから5年くらい経って、関東の大学の教務システムを作っていましたが、その仕事が印象に残っていますね。無茶な仕事というか・・・1ヶ月間の労働時間が600時間を越えていました。土曜日の朝会社へ行って、ずっと寝ないで働いて、帰ってきたのが金曜日の夜、とか(笑)。1ヶ月で3回しか帰宅しないような状況でした。学生さんが履修登録やシラバスの登録をするようなシステムだったんですが、大きなもので、画期的なシステムだったのでやりがいもありましたが、無茶出来る限界を知りましたね(笑)。
ものづくりをやりたいと思っていたのですが、まだまだ経験も未熟で、こんなままではダメだと思っていたので、とにかく様々な業種を知ったり勉強することが大切だと、色々動いていたうちの1つです。フリーランスには財務的な知識なども必要なので、簿記の勉強をしたりもしましたね。

Q.今、注目しているのはどんなことですか?

「Tumblr」なんか面白いですね。出来た年から使っていますが、最近は東南アジアで流行っているようです。フィリピン、タイ、マレーシア、シンガポール、そのあたりの情報が得られるのが面白いです。この前は、12歳で会社を起こしたデザイナーさんと繋がったりもして、刺激を受けましたね。それから・・・注目しているのはウクライナですね。紛争地域なので、軍にいた方が退役してITを始めるケースがあるなど、ものすごくITが発達しています。スマートフォン関連ではアフリカでしょうか。「Safaricom」という企業に注目しています。アフリカは人口カバー率も物凄いですし、市場としては14億人いますから。面白い市場なのかと思います。

Q.仕事で大切にされていることは何ですか?

1番は、使う人のことを考えるということかと思います。どんな人がどういう使い方をする、だったらきっとこういう失敗をするだろうから、それをカバーしておこう・・・という風に作っていきます。例えば、プラント設計の時にも、そこに1本線がある、という意味を突き詰めます。工事現場は、下手をすると命の危険がある場所です。無駄に見える線1本でも、使う人がどういうシチュエーションで何のためにそれを使うのか・・・そこを考えますね。何にしても、できない理由を探すんじゃなくて、なんとかしてやってやろう!と思いながら、つまづいてやってます(笑)。これからも、開発が、僕達が頑張っていかないと・・そう思います。

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宝物はなんですか?

レーサー時代、F1からホンダが撤退することになり、同じフォーミュラで走っていたアイルトン・セナが、同じマシンは君だけだからと会いに来てくれた事があるんですが、セナがサインをしてくれた帽子が、未だに宝物なんです。

趣味や息抜きは?

飼っている犬とたわむれる時間が、なによりの息抜きですね。ボルゾイが1頭、ミニチュア・ダックスが2匹、ミニチュア・ピンシャーが1匹です。

最後にひとこと

ないものは作ってみたい。僕の根本的な考え方です。開発のきっかけも、シンプルで単純。ないものを探すのではなく、困っている人を探す。何か不便そうだな、だったらこういうものがあったら良いんじゃないか。そんな視点を忘れずに仕事に臨んでいきたいです!

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INTERVIEWER'S_EYES

 

時代の先駆者のような挑戦的な思想と、物腰の柔らかさ。信念あふれる姿勢には、一流の技術者とも営業マンとも言える雰囲気がありました。貴重なお話ばかりで、取材はあっという間の時間でした。日々めざましく発展するITと私たちの日常。視野を広げさせて頂いた気分です。ありがとうございました!

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